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ブルガリアにある仮面の奇祭「ケクリ」とはどんなお祭り?

ケクリ

みなさんこんにちは。
ブルガリアって国の事、詳しくご存じですか?おそらく詳しくご存じの方ってそんなに多くないのではと思います。実はブルガリアは黄金文明発祥の地だったってご存知でした?

最も古い黄金製品は紀元前5000年頃のもの。これはなんとあのツタンカーメンのマスクを3000年以上も遡ります。
この文明を生み出したのがトラキアと呼ばれる人々。長く謎に包まれていた彼らの実像が近年の新発見によって次々と明らかになってきました。
今回は、そんなあまり知らなかったブルガリアに残っている伝統「クケル」と呼ばれる奇祭について詳しく調べてみました。

トラキア

最も古い黄金製品は紀元前5000年頃のもの。この文明を生み出したのがトラキアと呼ばれる人々。
長く謎に包まれていた彼らの実像が、近年の新発見によって次々と明らかになってきました。

現在、トラキアと呼ばれているものは、トラキアはバルカン半島の一地帯を指す名称です。
トラキアの地には紀元前4000年頃からトラキア人が住んでおり、独自の文化が栄えていたと言われています。
しかしトラキア人は文字を持っていなかったため、その文化などは長い間、謎に包まれていました。
今も謎に包まれた部分は多いのですが、特にブルガリアにおいて近年トラキア時代の遺跡発掘が進み、次第にその実態が明らかになって来ました。

ターキッシュエア&トラベルより

オドリュサイ王国

古代のトラキア地帯にはオドリュサイ王国なるものが存在していました。オドリュサイ王国は、紀元前5世紀から紀元後1世紀にかけてトラキアに存在し、40以上のトラキア人諸部族と22の王国からなった連合国家でした。
その領域は現在のブルガリアを中心に、ルーマニア南東部(北ドブロジャ)、ギリシャ北部、トルコ領東トラキアにあたる地域まで及びました。首都は一つではなく、王は各地を巡回していたと考えられています。

古代のトラキアは金や銀、木材の産地として知られていたそうです。勇猛な戦士でもあったトラキア人は、黄金の戦闘服を身に着けてあらゆる戦争で勝利し、その繁栄を誇ったとされています。馬にも金の装飾を施すなど、黄金文明を築いていた部族だったようです。

トラキア王国の最盛期を築いたセウテス3世の墓からは、王冠や杯などの黄金製品が発見されています。トラキア人にとって、輝きを失わない黄金は永遠の魂を象徴する存在だったと考えられており、人々は王の死後も数十年にわたり、黄金の遺品に祈りを捧げたとされています。
しかし、トラキア人は文字を持っていなかったため、これらの黄金文明についても長年明るみに出ることがありませんでした。

1972年、黒海沿岸の遺跡からエジプトやメソポタミアよりも古い時代に作られたとされる黄金が見つかり、それをきっかけに、「黄金文明」と呼ばれるほどの大量かつ精巧な金製品がトラキアで発見されるようになりました。

2004年8月にブルガリアで発掘された「トラキア王の黄金のマスク」は、672gもの金を用いた豪華なマスクで、世界的にみても貴重な出土品です。紀元前5世紀後半頃に作られたものと推測されています。

トラキアで発掘されたさまざまな金製品は、トラキア文明以前の先史文化がもっとも繁栄した紀元前50000年半ばから後半のものであることが分かっています。
文明の発祥の地といわれるエジプト王朝の確立よりはるか昔に存在していたことを物語っており、「世界最古の黄金文明」とされているのです。

クケリ

冬になると、手の込んだ衣装と空想的な仮面を身に着け、巨大なベルを腰に巻いたクケリのグループが、楽団の演奏に合わせてリズミカルに踊りながら、村を練り歩きます。悪を追い払い、善を招き入れるためです。
「クケリ」は、旧暦の正月に、羊や山羊の毛皮を着て仮面をつけ、腰の周りにたくさんの大きなベルをぶら下げた男たちが町中を行列で練り歩き、この怖い姿と大きな音で悪霊を追い払おう、というものなのです。

ブルガリアの先住民族と言われているトラキア人が、葡萄・ワインの神であるディオニソス神を祀って春を呼ぶ祭りをしていたのが由来だそうです。このお祭りはブルガリア国内のいろいろなところで行われています。
東欧各国にもクケリに似た行事があるそうです。
冬の厳しい時期、ブルガリア各所は白い雪に包まれ、暖房の効いた室内にいる時間が長くなります。春が待ち遠しいこの頃に「クケリ」行われるのです。

クケリのお祭りとしてはブルガリアの首都ソフィア市のお隣、ペルニック市のフェスティバルが国際的に有名で、東欧だけでなくアフリカやアジアからも仮面をかぶって踊る様々な団体が参加し、たくさんの観光客が来て盛り上がります。

ペルニックのこのフェスティバルは「スルヴァ」といいます。この言葉は新年のあいさつで、「無病息災、悪霊退散」のために装飾したミズキの枝「スルヴァクニッツァ」で家族の背中を叩く新年の行事と関係があるそうです。
ベルニックのフェスティバルはこの新年の行事を原型として、クケリのお祭りが混ざったものなので、行列の中には、花嫁、警察官、聖職者、看護士などいろいろな仮装をした参加者たちもいます。
伝統的にこのお祭りには男性が参加することになっているので行列の中に花嫁姿のいかつい男性がいることもあるそうです。

でも近年では大きなベルを付けた女性やホロ(ブルガリアのフォークダンス)を踊って行列に参加する女性も増加しています。
子供たちにとってもこのフェスティバルは晴れの舞台です。親たちは、大きな羽飾りのついた仮面をつけたり、毛皮を着て行列に参加する我が子の写真撮影に忙しいようです。

この様子はまるで日本の秋田県にで行われる「なまはげ」と似ていると思います。縁起の悪いものを追い出す、という点でも共通のものがありますよね。

Сурва Перник 2014

オバケの格好で悪霊退散・・・そう考えるとブルガリアの人々にとって冬はまるで「悪いオバケに居座られている」ということなのでしょうか? とにかく「早く春が来ないかな~」という願いは世界中でどこも同じなんですね。

クケリの起源

起源については、古くてわかっていないことも多いのですが、一説によりますと

古代トラキア時代にはブルガリアでは「タングラ」という、日本の「神道」に近い概念で森羅万象のものに神がいると信じられていた自然崇拝による民俗信仰があります。
このクケリのお祭りの起源はタングラという民俗信仰の祭事で神聖なものだったそうです。

あるいは、語源については、詳しくは分かっていないらしいのですが、一説によるとサンスクリット語の「ククラ」ではないか、という説もあるそうです。
サンスクリット語で「ククラ」という言葉があり、それは「犬、動物」といった意味を表すそうです。サンスクリット語が語源だとすれば、インドから何らかの形でブルガリアに伝わってきたのでしょうか?

ブルガリアへの行き方

ブルガリアの首都ソフィアへは成田から15時間

トルコ空港
NRT成田       ISTイスタンブール 12時間15分
ISTイスタンブール  SOFソフィア     1時間15分

などがあるようです。 春を待つお祭り クケル 時間があればぜひ見に行ってみたいですね。

※トップ画像はNOWNESSより

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