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プロフィール

はじめまして。Uechannel.を運営しております。Hideです。

このサイトでは、僕が会社員から独立してフリーランスとして生きていけるようになるまでを、リアルタイムにお話していこうと思います。

会社員として30年

思い起こせば、もう30年も前になるんですね。大学を卒業して、就職したあの時代って。当時はバブルがはじけた直後でしたので、まだ就職は狭き門ではなかったです。僕も幸運なことに何の心配もなく東証1部上場企業に滑り込んだ格好ですが、同期が1000人もいる大手流通業の社員になりました。

入社式

入社式には、同期全員が東京に呼ばれて、日比谷公会堂を借り切って行われました。入社式ではたくさん同期はいたはずなのにみんなバラバラに分かれて、僕は神戸の山の中にある大型店舗の八百屋さんになりました。2年神戸で八百屋さんやって、大阪本社に異動。新規店舗開発の出店試算や商圏調査などをする部署に異動して、神戸を担当しました。

人生初の関西圏外へ

店舗での業務はかなり厳しいものでした。知らない間に同期の人たちも辞めていって、噂にはもう半分になったとも聞いており、社会とは厳しいもんだなぁと感想を持ったものでした。でも、僕はラッキーなことに店舗での勤務ではなくなったので、土日は休みだし早番も遅番もなく汚いごみ捨てや重たい荷物を運ぶ仕事ではなく、事務職として本当にサラリーマンになったんだなぁと実感して、仕事を楽しんでいました。そんな時、阪神淡路大震災が来たんです。

担当していたエリアは、ご存じの通りボロボロになってしまいました。従業員とその家族も100人ほどなくなったと聞いています。

会社は火の車でした。多分。僕は出向させられて、子会社でゲームセンターとカラオケ屋の店長補佐として岩手県盛岡市に赴任することになったのです。人生で初の関西圏外でした。

半年で、盛岡の現場から本社に戻され東京本社勤務になりました。震災の後、たくさんの人が希望もしないのに辞めてくれ人事異動で耐え切れなくなった人たちがたくさん辞めていったと聞きました。もうほとんどの同期とも連絡が取れなくなっていました。

その後は出向から戻されたものの、また現場の店舗での業務です。2年後にまた本部に戻され、販売計画、営業企画、予算管理、健康保険業務、などの業務につきました。このころはよく働きました。球団も持っていたので、優勝したら徹夜でしたね。本部も。

このころに、Windowsも覚えたし、html言語も専門学校通って覚えたし、excelもマクロ組めるぐらいにまで使い倒しました。

ようやく会社員として、「世の中の役に立ってるかな」感を感じれるようになりましたが、7時ごろから12時ごろまでの17時間勤務を普通にこなしている時期でした。

3万人ほど従業員がいるような大きな会社だったので潰れるなんて想像もしてませんでしたが、いよいよやばくなってきたので、早く辞めてどっかに転職せねば!と思いつつその後3年間店舗で勤務は続きました。

初めての転職

人材紹介からスカウトを受けて、運送会社の社長が欲しがってるって言われ、社長に会いに六本木ヒルズに行きました。面接というよりも、今の会社の問題点を聞かされただけだったように記憶しているのですが、僕の転職はそこで決まったようです。いついつから出社するようにと言われて、僕は会社に辞表を提出。一切何の引き留めもなく、すんなりと辞めさせてくれたのは13年働いててなんだか寂しかったのですが、家族3人の生活で手取りで20万もなかったので、これで生活が楽になるぞ、と思ってすっきりしたのはよく覚えています。

第二の会社員生活

僕の時代は、学校を卒業して就職したら一生そこの会社に勤めるものだという意識は強かったです。当然僕もそう思ってたので、転職にはなんだか人生の大きな転機を感じて、不安もありました。けども新しい人たちとの出会いや新しい仕事内容に、いろいろとやることも見えてきて、すぐに前向きに取り組むようになりました。

本社は地方ですが、僕は東京本部勤務で、月に1回は本社に出張。それ以外に全国の営業所にも時々行くようになり、この時から出張でほとんどの都道府県に一度は行ったことがあるようになりました。

プライベートも含めると、いったことがない県は長崎と宮崎のみです。

仕事はそれなりに面白く、人事政策、人材派遣会社の立上げ、システム開発、海外営業、広報などやりましたね。社長直々のスカウトだったので、いろんな面で融通利かしてくれて、ありがたいなぁと思うようになりました。

そんな社長を間近で見ていると、やっぱ経営者の方が会社員よりもよっぽどいいわって見えてくるんですよね。どうやったら会社員辞めれんのかなってこの頃から思うようになってました。

現場へ異動

会社が大きくなってくると、現場から本社へたくさん人が異動してくるようになりました。僕のように転職してきたものは少なく、みんな現場上がりの人たちで、ハンドルも握ったことのないような奴は、見下されるようになって、居場所がなくなっていきました。

また、本社は地方で東京からの人間は本社にも居場所がなかったです。そんな時期にいろんな改革があって居場所がなくなった僕は現場に異動させられるのですが、ここで毎日16時間労働で週6勤でした。しかも客先での業務でしたので、お客さんからは毎日会社の悪口から同僚の悪口に僕自身への個人攻撃も相当なものでした。しかも僕は社長からの直々のスカウト入社で、誰も僕を降格させたくなかったようでしたので、管理職のままでした。つまり残業は一切つかないといった状態でした。

ここで、僕は見切りをつけて退職し、自営業へと舵を切るのです。

生き甲斐を見つけた中国輸入

食いっぱぐれた僕は、ハローワークに通いながら、次の仕事を探そうとしていました。

世の中にはいろんなスクールがあります。一番最初に見つけたのは、アメリカ輸入国内販売のスクールでした。当時はまだ会社員してたのでなかなかスクールに参加できずあっという間に終わりました。その時には個人でも貿易ができて一人で生きていけるんや!と驚いたのを覚えています。

次に見つけたのは、中国からの輸入ネット販売でした。いろいろ探し回って都内をうろついていましたが、恵比寿ガーデンプレースでネット見ているときに、そんな情報に触れて飛びつきました。即申し込んで翌日の秋葉原の説明会に行ったのは今でも忘れません。

スクールは4か月。生徒は150人ほど。みんな厳しい生活を送っているようでした。当時知り合った仲間は今でも仲良くしていますよ。

4か月で僕は、月商20万達成。でも利益にしたら5万円有るかないか。これでは食べてはいけません。意を決してもう一度サラリーマンでやり直しながら、この中国輸入を大きくすることを夢見てUターン転職し半年間のフリーランスを終えて20年ぶりに大阪に戻ってくるのです。

いつしかサラリーマン気質に

大阪で、運送会社に転職した僕は、面接官として毎日ドライバーの採用業務をするようになりました。面接するだけでいいとは聞かされていたものの、ドライバーがいないと会社の収入が増えないとあって、人をかき集める営業マンのような仕事でした。いつしか起業の事も忘れてしまい、のんびりとした生活に戻ってしまいました。

コロナで運送会社が危なくなったことを機に、建築会社に転職するのですが、めちゃくちゃ管理の厳しい会社で、完全なブラックでした。

中国輸入は全くできなくなり、完全に自分の手が離れられるところを離して、半自動化にしたところ売り上げも上がってきたではありませんか。

こうなったら、年齢的にもこの機会を逃すことはできないと思い、これを機にフリーランスとして生半可な気持ちを捨てて独立へと舵を切った。次第です。

フリーランスになった訳

会社員としての勤務が30年程になりますが、ずっと平社員です。あっ、部長やったことありましたわ。1年ぐらいでしたけどね。

でも、ほとんどが平社員でした。理由は分かっています。組織になじめなかったんですね。自分の信念を貫くことに美学を覚え、上司に簡単には同調しない性格でした。

会社員生活のゴールが見えてきたときに、年齢的に急に僕自身が年長者の立場に立つことが多くなってきて、今まで周囲にごく普通にいた自分よりも年上の先輩が見当たらなくなったんです。年長者として、そして平社員としての生活ってなんか割に合わないんですよね。変なところだけ割食ってやってる仕事は同じなのに変に責任を持たされたり、その年齢でこんなこともできないのかって目で見られたり。

自分には得意なことがあるので、そっちで特化して生きていきたいと思ったら選択肢はフリーランスだったってことなんです。

何をして生きていこうか

人生って長い時間を使った暇つぶしとは、誰かが言ってましたが、、、

小学生の頃、親戚に神戸で貿易会社を経営しているの伯父さんにがいて、僕のうちに遊びに来てくれる時は、必ず日本では見たこともないおもちゃとかお菓子をお土産に持ってきてくれていました。

当時は、それがうれしくて外国になんとなく興味がありました。

大手商社に勤めているおじさんもおりまして、父親も国家公務員だったし、将来は何となく会社員になって毎日通勤するのが当たり前のように思っていました。そして子供のころの希望としては、外国と関わるような仕事に携われるとうれしいな~ってぼんやり思っていました。

大学は、やっぱ英語必要かなって単純な考えで文学部英文科に入学しました。

その4年後、就職は商社って思ってましたが、4年間をぼんやり過ごした僕に大手商社は無理だったようで、当時勢いに乗ってた流通系の企業に就職しました。当時は流通系と言っていましたが、今はいうのでしょうか、平たく言えばスーパーマーケットの会社です。別名でいうと小売業ですね。

神戸のお店で2年務めた後に大阪本社に異動。不動産関係の業務に就き、神戸エリアの担当でした。
その時に阪神淡路大震災に遭い、自分の担当していた物件は火の海。

岩手に転勤になり、しばらく東京勤務の最中、地下鉄サリン事件に電車1本違いで遭遇。
なんとまあ1995年は不遇の年でした。

その後東京にまでは戻ってこれましたが、大阪にまでは帰れず、東京でサラリーマンを20年。
その間に、転職を2回。出張では全国いろんなところに行かせてもらい、最遠地は香港です。

宮崎と長崎以外、45都道府県は制覇してます。笑
東日本大震災も池袋の高層ビル内で被災してます。

そうこうしている間に、いつしか忘れていた海外との貿易に関して思い出した気がします。自分って何やってんだろうかな~って状態でした。この頃から中国から輸入してネットで販売ってのをやりだして昔思ってたことを改めて思い出しました。

そういえば、いろんな国の人との交易ってやってみたかったんだよな~って、ことでebayも始める
ようになり、世界に向けて日本製品を販売してみたりなんかもやってます。

今の時代はインターネットがあるので個人で貿易ってできちゃうんですよね~。

いろんな外国の情報を皆さんと共有できればいいかなって思ってます。

僕の好きなテレビ番組は、「なんでそんなことやってるの?」系です。
よくあるのは「ユーは何にしに日本に?」とか、「こんなところに日本人」なんかですね。

今後は、コロナで行き辛くはなってますが、世界旅行とかできるようになれば、どんどん行ってみたいです。

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